コラム

COLUMN

「午」vol.3 馬は神と人をつなぐ

2014.1.17  干支コラム 

洋の東西を問わず、馬は神霊の乗りものであると考えられていました。ギリシャやインドにあっては、太陽神が乗る車を引く聖獣とされ、中国ではインドからの高僧が白馬に経典を乗せて当地に仏教を伝えたといわれます。また、黄河から八卦図を背に現れ出たという、竜馬伝説も残ります。
 わが国では、神事や祈願に神の降臨を求めて生きた馬を奉納するならわしがあり、平安時代の書物『延喜式』によれば、雨乞いの祈願には黒毛の馬を、止雨の祈願には白馬を奉ったとあります。
 とはいえ、生きた馬を奉納するというのは、そうそうできることではありません。そこで、神馬を描いた板絵を納めたのが「絵馬」の起源といわれます。時代とともに絵馬は多様化し、桃山時代には著名な絵師が筆をふるった豪華な大型絵馬が人気となり、それをかけるための絵馬堂がつくられました。その一方で、名もない市井の絵馬師や奉納者自身が描いた小絵馬は、庶民の間で脈々と受け継がれ、現代も祈願や報謝のために奉納する善男善女が絶えることがありません。

「午」vol.2 名馬は歴史を変える

2014.1.6  干支コラム 

 縄文時代の遺跡から馬の歯が出土していることからもわかるように、馬はかなり早い時期にわが国に渡来し、古墳時代の後期には貴人の間で騎乗の風習が広まっていたと考えられます。
 672年、大友皇子と大海人(おおあま)皇子の皇位継承争いに端を発した壬申の乱では、両軍による騎馬戦が華々しく展開され、馬による行軍のスピードが戦局を左右します。勝利を得た大海人皇子は翌673年、飛鳥京にて即位し天武天皇となりますが、この戦いで大友皇子側についた大和朝廷の大豪族たちが打撃を受け、天皇の権力が強化されたことが、日本を中央集権国家へと大きく転換させる契機となりました。
 「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の言葉が示すように、古代より馬は武将と一体となって戦陣を疾駆し、時としてその勝敗さえ分かつ働きをしてきました。 源義経によるひよどり越の奇襲、武将を乗せた馬が筏のように宇治川の急流を押し渡る橘合戦など。源平の戦いを描いた『平家物語』には、馬が活躍する場面が数多く見られます。それもそのはずで、朝廷が軍馬の育成にあたらせた牧地を治めていた者たちが、やがて武士となり勢力を広げ、その頂点に立ったのが源氏でした。源氏軍は得意とする騎馬の機動力を最大限に発揮し、戦を制したのです。

「午」vol.1 伯楽は名馬を見抜く

2013.12.24  干支コラム 

 野球のイチロー選手を見出した仰木監督のように、埋もれた才能を見抜く眼力のある人物のことを「名伯楽」と呼びます。
 この伯楽とは、古代中国の有名な名馬の鑑定人のことです。本名を孫陽、号を伯楽といいました。
 古書『戦国策』燕策には、こんな話が見られます。
 ある人が駿馬を市に出したがなかなか売れず、伯楽に頼んで一度顧みてもらうと、とたんに馬の値が十倍にはね上がったという。
 この故事の駿馬と伯楽の関係を、人間界に見たのが「伯楽一顧」です。世に埋もれていた優れた人材が、名君や賢相によって才能を認められ重用されることをいいます。名君・賢相のたとえとして使われるほどですから、伯楽の権威は広く認められていたのでしょう。
 中国で現代も使われている言葉に、「馬到成功」があります。軍馬が到着するなり戦を制するという意味から、速やかに勝利を収めることをあらわします。古代から近代に至るまで、馬は人々の生活や国の発展に欠かせない輸送と交通を担いながら、同時に人と生死を共にする特別な存在でもありました。
 干支の十二支獣のうち、馬ほど人間の歴史や国家の興亡に深く関わった動物はありません。名馬を見抜く力を持った伯楽が、名君・賢相に並び称され、その名を今に残しているのも、人にとっての馬の存在の大きさを物語っているのかもしれません。

彩七宝シリーズ

2013.10.2  井筒授与品店オリジナル商品 

七宝の柄をモダンにリメイクし、配色にもこだわって井筒授与品店の織り工房である「西道織物」で織り上げ、いろいろな小物をご用意いたしました。
鞄の中を整理するための小物から机上の文箱まで、お好みに応じてお選びいただけます。

「巳」vol.5 巳年は終結と再生の分岐点

2012.12.25  干支コラム 

昔から中国では、美人と強い男子は巳年生まれが多いと言われます。男性では、マハトマ・ガンジー、毛沢東、ジョン・F・ケネディという世界史に残る政治指導者が巳年生まれです。
 生まれつき聡明で情熱的、仕事にも恋愛にも積極的に取り組むのが巳年生まれの人の特徴です。しかし、猜疑心が強く、執念深いところがあるため、人間関係で円満を欠くことが少なくありません。魅力的な反面、つき合いにくい自分の性格を自戒して、精進することが肝要です。
 遠く巳年の歴史を遡れば、中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我氏を滅ぼし、新政権を樹立した大化の改新が645年。
 源義経が壇ノ浦で平家を破り、平氏一門が滅亡したのが1185年の巳年でした。1905年には世界を驚かせた日本海海戦の大勝利で日露戦争が終結し、1941年には真珠湾攻撃で太平洋戦争の火蓋が切って落とされました。1989年には昭和天皇が崩御され、時代が昭和から平成へ。そして、前の巳年の2001年に21世紀がはじまりました。
 中国の字典『正字通』には、「巳(み)は終わりの已(い)なり。陽気既に極まり、回復するの形なり」とあります。巳の時は、1日の半ばになろうとする時刻であるところから、物事の盛りの頃を意味します。
 良きにつけ悪しきにつけ、物事や時代が一つのピークを迎えて終わり告げ、新たなスタートを切るのが巳の年と言えるでしょう。それだけに、終わってみるまで何が起きるかわからない、気の抜けない年でもあります。
 古い殻を破って脱皮し、計り知れない生命力で再生を続ける蛇のごとく、しっかりした覚悟と果敢な勇気をもって、新しいステージへ踏み出す一年としたいものです。
(vol.1~vol.5文/坂上雅子)

「巳」vol.4 恋する蛇の恋愛説話

2012.12.19  干支コラム 

2匹が縄のように絡み合った交尾が数時間も続くといわれる蛇は、古来より旺盛な生殖力で知られます。そのせいかどうか、中国にも日本にも、蛇と人間の恋愛や婚姻にまつわる説話が数多く見られます。
 中国の民間伝説『白蛇伝』は、白蛇の化身の娘が人間の男性と恋に落ちるという恋愛故事です。やがて夫婦となり、幸せに暮らしていましたが、仏僧に蛇の正体を見抜かれ、退治されます。この説話を題材に、1958(昭和33)年に日本初の総天然色アニメ映画『白蛇伝』が制作されました。
 日本では、蛇が男性になって人間の娘と契りを交わす「蛇婿入り伝説」が多く伝えられますが、その反対に人間の女性が蛇になるのが、紀州に伝わる『道成寺伝説』です。
 僧の安珍に恋をした清姫は、叶わぬ恋の炎を燃やし、大蛇となって安珍のあとを追います。そしてついには、道成寺の釣り鐘の中に隠れた安珍を鐘ごと燃やし尽くします。美しい娘が凄まじいまでの恋心ゆえに蛇と化すこの伝説には、人々の心を捉えてやまない魅力があるようです。浄瑠璃や能、歌舞伎にも取り上げられ、今も広く語り継がれています。

「巳」vol.3 幸運と健康と富を運ぶ蛇

2012.12.13  干支コラム 

「鬼が棲むか、蛇が棲むか」とまで恐れられる蛇。しかし、ネズミなどの害獣を獲物とし、長い冬眠の間、何も食べずに生き続け、脱皮を繰り返して成長する蛇は、豊穣と永遠の生命力の象徴として世界各地で信仰される存在でもありました。
 わが国には家に棲みついた蛇を守護霊として敬う風習がありましたが、幸福を呼ぶ家つき蛇の民間信仰は、ドイツやスイスでも見られるといいます。
 西洋ではまた、蛇は医学の象徴です。ギリシャ神話に登場する名医・アスクレピオスが手に持つ杖には、再生と不死のシンボルの蛇が巻きついています。この「アスクレピオスの杖」と呼ばれるモチーフは、世界保健機関のマークとなっているほか、各国の救急車や医科大学のマークとして今も使われています。
 豊穣をもたらす蛇には、金運上昇の御利益もあるようです。インドの民間信仰では、財宝を守る白蛇が人の夢に現れてその所在を教えるといいます。わが国では弁財天の御使いとして尊ばれ、蛇が脱皮した後の抜け殻を財布に入れるとお金が貯まるなどの言い伝えがあります。

「巳」vol.2 「杯中の蛇影」は病のもと

2012.12.5  干支コラム 

 蛇は極地を除く世界各地に広く分布し、現生種は約2,400種といわれます。地上に棲むもの、地中に棲むもの、水中に棲むもの、樹上に棲むものなど多様で、致命的な毒を持つ危険種は約300種。日本ではマムシ、ハブ、ヤマカガシが毒蛇として知られています。
 足もないのに電光石火の逃げ足で、獲物に素早く毒牙を打ち込み、あるいは伸縮自在にからみついて巻き締め仕留める蛇は、古代の人々にとって脅威の的でした。
 中国・唐の『晋書』には、蛇の影に怯えて病気になる男の話が紹介されています。
 親戚の宴に招かれた男が酒を口にしようとすると、なんと杯の中に蛇が見えます。男は震え上がり、それ以来、病気になってしまいますが、後日、杯の蛇の正体は壁にかかった弓が映ったものだったと知ると、たちまち病が回復したというものです。
 この故事から、疑い出せば、何でもないことでもストレスの種になることを「杯中蛇影(はいちゅうだえい)」と言うようになりました。

「巳」vol.1 「海千山千」蛇は龍となる

2012.11.27  干支コラム 

 辰年の龍の次が、巳年の蛇。
 「海に千年、山に千年棲みついた蛇は龍になる」という言い伝えがあります。それを人間の経験にあてはめ、世の中の裏も表も知り尽くした抜け目のない人を「海千山千」と呼びます。
 干支の本場の中国では、龍についての諸説の中に「龍の原型は蛇」とする説があり、現代も俗に蛇を「小龍」と呼びます。かつてNHK中国語講座で活躍されていた鄭高詠(ていこうえい)氏によれば、巳年の中国人に干支を尋ねると、3通りの答えが返って来るそうです。
 「私の干支は蛇です」
 「私の干支は長虫(蛇の異称)です」
 「私の干支は小龍です」
 蛇と言わずに小龍と言いたがるのは、国民的人気の龍に対し、蛇には残酷で狡猾なイメージか付きまとうからだとか。同じように全身を鱗で覆われた十二支獣でありながら、想像上の動物の龍は天空を駆け、権力の象徴とされるのに対し、古くから人の身近にいた蛇は、崇敬と嫌悪が相半ばする複雑な存在でした。
 そして、この二面性こそが、他の動物には見られない陰影に満ちた蛇の魅力とも言えるでしょう。

お多福手拭い

2012.11.24  井筒授与品店オリジナル商品 

井筒授与品店では今年新しくお多福を描いた縁起のよい手拭いを制作いたしました。
古代においては太った福々しい体躯の女性は災厄の魔よけになると信じられ、ある種の「美人」を意味したとされています。
また、福が多いという説と頬が丸くふくらんだ様から魚の河豚が元という説もあります。
そんな縁起のよいお多福を亮然氏が温かみのあるタッチで描き、心に響くことばとともに手拭いに仕上げました。