コラム

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「午」vol.2 名馬は歴史を変える

2014.1.6  干支コラム 

 縄文時代の遺跡から馬の歯が出土していることからもわかるように、馬はかなり早い時期にわが国に渡来し、古墳時代の後期には貴人の間で騎乗の風習が広まっていたと考えられます。
 672年、大友皇子と大海人(おおあま)皇子の皇位継承争いに端を発した壬申の乱では、両軍による騎馬戦が華々しく展開され、馬による行軍のスピードが戦局を左右します。勝利を得た大海人皇子は翌673年、飛鳥京にて即位し天武天皇となりますが、この戦いで大友皇子側についた大和朝廷の大豪族たちが打撃を受け、天皇の権力が強化されたことが、日本を中央集権国家へと大きく転換させる契機となりました。
 「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の言葉が示すように、古代より馬は武将と一体となって戦陣を疾駆し、時としてその勝敗さえ分かつ働きをしてきました。 源義経によるひよどり越の奇襲、武将を乗せた馬が筏のように宇治川の急流を押し渡る橘合戦など。源平の戦いを描いた『平家物語』には、馬が活躍する場面が数多く見られます。それもそのはずで、朝廷が軍馬の育成にあたらせた牧地を治めていた者たちが、やがて武士となり勢力を広げ、その頂点に立ったのが源氏でした。源氏軍は得意とする騎馬の機動力を最大限に発揮し、戦を制したのです。