コラム

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2014年01月の投稿Date

「午」vol.5 天馬のごとくのびやかに

2014.1.31  干支コラム 

 午年生まれの人は、せっかちで怒りっぽいところがありますが、根っから陽気な性格で、頭の回転が速い人が多いのが特徴です。独立心に富み、失敗してもくよくよ思い悩むことなく心機一転できることから、地道に努力すれば予想もしなかったような成功が得られるといわれます。
 明治3年、ロシア革命の指導者レーニン。明治15年、アメリカ合衆国第32代大統領ルーズベルト。わが国では、明治27年に松下幸之助、明治39年に本田宗一郎、大正7年に田中角栄、昭和17年に小泉純一郎など。午年生まれは、各世代に歴史に名を残す政財界の大物が顔を揃えています。
 史実をひもとけば、大化の改新、本能寺の変、赤穂浪士の討ち入り、日露戦争など。午の年には歴史を動かす出来事が頻繁に起きています。そもそも「午」という字は、杵の形を描いた象形文字で物事が「交差する」という意味があります。また午は「さからう」の意味を持ち、午の上の「」は地表を表し、下の横棒は陽気、縦棒は陰気が下から突き上げて地表に出ようとするさまを表します。そこから、相反する二つの勢力の間に衝突が起こり、運命が一変する可能性をはらんだ年と考えられるのです。
 「天馬空行」という故事があります。大空を自由に駆けまわる天馬にたとえて、ものの考え方や行動がのびやかで勢いがあることを指します。時代が大きく動く午年ならばこそ、恐れずひるまず「天馬空を行く」の気概を持って、日に千里を走る駿馬のように、新しいこの一年を力強く駆けめぐりたいものです。
(vol.1~vol.5文/坂上雅子)

「午」vol.4 左馬が福を招く

2014.1.25  干支コラム 

その絵馬の絵柄に、左(向かって右)を向いて左足を出した「左馬」がよく描かれます。一説によれば、左癖の馬は出足が良いといわれ、足が速くてすぐに売れるということから、商売繁盛の御利益があるとされます。
 また、馬は右から乗ると転ぶ習性があるため、必ず左側から乗ることからきているという説もあります。転ばない左馬にあやかって、人生を無事に大過なく過ごしたいという庶民の素朴な祈りが込められているのです。
 天童市の将棋駒で知られるように、馬の字を左右逆さに書いた左馬もあります。「うま」を逆さに読んだ「まう」が祝宴で踊られる「舞い」に通じることから、福を招く御利益があるとされます。

「午」vol.3 馬は神と人をつなぐ

2014.1.17  干支コラム 

洋の東西を問わず、馬は神霊の乗りものであると考えられていました。ギリシャやインドにあっては、太陽神が乗る車を引く聖獣とされ、中国ではインドからの高僧が白馬に経典を乗せて当地に仏教を伝えたといわれます。また、黄河から八卦図を背に現れ出たという、竜馬伝説も残ります。
 わが国では、神事や祈願に神の降臨を求めて生きた馬を奉納するならわしがあり、平安時代の書物『延喜式』によれば、雨乞いの祈願には黒毛の馬を、止雨の祈願には白馬を奉ったとあります。
 とはいえ、生きた馬を奉納するというのは、そうそうできることではありません。そこで、神馬を描いた板絵を納めたのが「絵馬」の起源といわれます。時代とともに絵馬は多様化し、桃山時代には著名な絵師が筆をふるった豪華な大型絵馬が人気となり、それをかけるための絵馬堂がつくられました。その一方で、名もない市井の絵馬師や奉納者自身が描いた小絵馬は、庶民の間で脈々と受け継がれ、現代も祈願や報謝のために奉納する善男善女が絶えることがありません。

「午」vol.2 名馬は歴史を変える

2014.1.6  干支コラム 

 縄文時代の遺跡から馬の歯が出土していることからもわかるように、馬はかなり早い時期にわが国に渡来し、古墳時代の後期には貴人の間で騎乗の風習が広まっていたと考えられます。
 672年、大友皇子と大海人(おおあま)皇子の皇位継承争いに端を発した壬申の乱では、両軍による騎馬戦が華々しく展開され、馬による行軍のスピードが戦局を左右します。勝利を得た大海人皇子は翌673年、飛鳥京にて即位し天武天皇となりますが、この戦いで大友皇子側についた大和朝廷の大豪族たちが打撃を受け、天皇の権力が強化されたことが、日本を中央集権国家へと大きく転換させる契機となりました。
 「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の言葉が示すように、古代より馬は武将と一体となって戦陣を疾駆し、時としてその勝敗さえ分かつ働きをしてきました。 源義経によるひよどり越の奇襲、武将を乗せた馬が筏のように宇治川の急流を押し渡る橘合戦など。源平の戦いを描いた『平家物語』には、馬が活躍する場面が数多く見られます。それもそのはずで、朝廷が軍馬の育成にあたらせた牧地を治めていた者たちが、やがて武士となり勢力を広げ、その頂点に立ったのが源氏でした。源氏軍は得意とする騎馬の機動力を最大限に発揮し、戦を制したのです。