コラム

COLUMN

「申」vol.2 信仰から伝統芸能へ

2016.1.5  干支コラム 

 現代では動物園や特定の生息地以外で猿を目にすることはめったにありませんが、わが国では太古の昔からきわめて身近な生き物でした。
 比叡山麓に鎮座する山王権現・日吉大社の神使いが猿であることから、古来より猿は山の神とされてきました。また「猿は山の父、馬は山の子」ともいわれ、猿は馬の守り神であると信じられていました。有名な日光東照宮の三猿が、ご神馬をつなぐ厩(うまや)に彫刻されているのもそのためです。
 鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には、直垂・小袴・島帽子をつけた猿が太鼓に合わせて舞を演じ、その後に厩の前につないだという記述があります。猿まわしという芸能は、どうやら古くは大切な財産である馬の安全息災を祈る厩の祈祷に用いられていたようです。
 江戸時代になると、各地に猿飼が住む猿屋町や猿屋垣内が置かれ、そこを拠点に組織化された猿まわしの集団が諸国を巡っていました。その頃には、新春の祝福芸としても盛んになります。猿飼が祝言を述べ、猿がめでたい舞を披露する姿は、宮中や武家屋敷はもとより、庶民の間でも正月の風物詩となり、俳旬の季語ともなっています。
 明治以降、古典的な猿まわしはすたれ、一時は“幻の芸能”ともいわれましたが、山口県周防地方でその伝統が保存されてきました。1991年(平成3)には、周防猿まわしが動物芸として初の芸術祭賞を受賞。人とニホンザルが一体となって織りなす猿まわしが優れた芸能であることが、広く認められました。