闘争心の強い鶏の性質を利用した闘鶏はギリシャに始まるといわれ、古代ギリシャの哲学者プラトンの著書『法律』にも、闘鶏に熱中する人々の姿が描かれています。
日本では、『日本書紀』の雄略天皇紀に雄鶏を闘わせた記事が見えます。平安 時代に入ると鶏合(とりあわせ)と呼ばれて宮廷貴族の間で大流行し、鎌倉・室 町時代には朝廷・幕府における上巳の節句の恒例行事として楽しまれるようになりました。また、『年中行事絵巻』や『鳥獣戯画』には庶民が闘鶏に興じる姿も見られることから、貴族・武士・庶民を問わず広く親しまれていたことがわかります。
このような娯楽的な側面の一方で、闘鶏は吉凶を予知する占いにも用いられま
した。『平家物語』では、源氏と平氏の双方から援軍を要請された紀伊国の熊野別当・湛増(たんぞう)が、いずれに就くかを決めるために闘鶏を行います。赤の鶏を平氏、白の鶏を源氏に見立てて闘わせたところ、赤が逃げ出したことから、湛増は二百隻余の熊野水軍を率いて壇ノ浦に出陣し、源氏に加勢したのでした。
「酉」vol.3 闘鶏に興じ、勝負の吉凶を占う
2017.3.21 干支コラム